自然の万物には魂や心が宿ると思う僕は取り立てて念仏を唱えたり十字を切ったりもしないけれど、神仏の像のみならず大木古木や河川大石や空気にも魂を見ている。
どちらかというと神道でそれ以上に修験道に惹かれるものがある。子供の頃は出羽三山を駆け回っていたこともあり山伏の荒行に魅入っていて、作法も知らずに火渡りや滝行の真似事をしていた。なにかこう苦しみに耐え抜いた後に得られる感覚が好きで、敢えて火中の栗を拾う癖は今でもある。ん〜近頃ぢゃぁMとかって言うのか?いやSっ毛もあるぞ。
オフザケはこの辺にして、さてさて蔵王について語ってみよう。霊峰蔵王連邦は山岳信仰の対象となっている山のことです。
山岳信仰の極みは一心に自然と向き合う厳しい山岳修行で知られる修験道。その開祖と云われる“役小角”は“役の行者”として広く知られています。
7世紀の後半、奈良県にある山上ヶ岳、吉野金峯山にて一千日修行に入りこの世に生きとし生けるものたちを救うための仏様を求めました。最初に釈迦如来様が現れましたが、現在の世の人達の目にその意味する本当の御姿は見えないと更に祈りを続けます。次に優しげな御姿の観世音菩薩様が現れましたが、秩序も無く悪が蔓延るこの世には相応しくないと更に祈りを続けます。弥勒菩薩様が現れても満足としない役小角は鬼を降伏させるほどの力を持った神を求めて祈りを続けます。
すると大地は激しく震え天には俄かに暗雲が立ち込めて雷鳴が轟き渡りそして忿怒の形相をされた金剛蔵王権現様が現れました。
役小角は鬼をも降伏させる力を持ったこの御神様こそ末世の世を救うために我が求めていた守護神だとして感得しました。後の記では二匹の鬼を従え世の悪を懲らしめたともあります。金剛蔵王権現様が現れるまでの三尊はそれぞれ過去現在未来を表しそれぞれの守護仏で三世救済の教えを表す基となっています。余談ですが「鬼」の付く地名や鬼が出る伝説のある場所には鉱物資源の産する鉱山が多くあり、桃太郎の鬼ヶ島は実のところ金山で人を近づけないために「鬼」が棲むとした話も聞きます。蔵王町遠刈田温泉には鬼石原という地名もあり、隣接する岩崎山は金鉱山で伊達政宗の仙台城築城の資金源となっていたそうです。盗みに入らないでね、危ないよ。
日本に伝わる神仏は殆どその由来をインドなどから伝来した仏典によるものですが、金剛蔵王大権現は唯一日本独自で発祥された神仏です。
形相からは火焔をまとう不動明王様と見てしまいがちですが、金剛蔵王大権現様は右手に災いを断ち切る三鈷杵を奮い上げ左手は腰の位置で印を結び右膝を高くあげた御姿をされています。
“権現”とは仏様が人に見える仮の姿になってこの世に現れる意味になります。炎をまとった御姿となると・・・ん、身近に“サラマンダー”が居ました。“サラマンダー”は炎を自在に操る精霊で、業火の中でもその皮膚は焼けることがないそうです。またサラマンダーは“サンショウウオ”のことでもあります。森の楽園には清流を好むトウホクサンショウウオが棲んでいます。
トウホクサンショウウオとの出会いによって環境美化の清掃ボランティアにも力が入るようになったわけですが、これは不動明王様、金剛蔵王大権現様の
“とっちおんちゃんよ、この蔵王をキレイにして皆が安らげる地にしなさい。”という御告げなんじゃぁないのか!?
トウホクサンショウウオの棲む綺麗な湧き水のあるこの蔵王の地、“役の行者”ゆかりの蔵王の地でこそ“行者ニンニク”を名産にする意味があるのじゃないのかぁ!?
更にはチェンソーアートで不動明王の化身である“倶利迦羅大龍”を彫って奉納しろということじゃないのか!?
蔵王町の観光振興に“町ぢおごしで何にが無いっすかやぁ?頭いでぇなっす”と困っているところに
“CRAFTSMAN CHAINSAW ART COMPETITION 2007”
蔵王人チェンソーアート競技大会を開催しろということじゃぁないのか!?
行者ニンニクは修験行者が山中で厳しい修行を行っているときに食べて精を付けたことからその名が付けられたと云われています。硫化アリルの一種でアイリン(細胞膜破壊でアリシンに変化)という成分を多量に含んでいます。その効能をここで書くわけにはいかないので興味のある人はキーワード“健康 アリシン”で調べてね。
よし!チェンソーアート一千日修行を行うぞ!オー!
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