2010年11月15日

他人に罰を処する重さ

50代裁判員「法廷で何度も涙」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1408893&media_id=2


残虐非道な被告に対して、

異例となる上告を裁判長が勧めた理由の一つ。。。



「人が人を裁くこと」の重大さに、

一般の裁判員が精神的に耐えられなくなることを見通して、

「あの罪人が死刑に処されて絶命したのは、

「上級審の裁判官によって決定されたのだよ」と、

心理的な負担を軽減させるものなのでしょう。


私たち人間の多くは、自分の意にそぐわない人のことを

「ヤジ」ったりしますね。

でも、案外、対象と向かい合い、自らの人定が行なわれた場では、

そんなことができない。。。

「私は何処の者で名を何と言うが、アナタは私の意にそぐわないから嫌いだ」

なんて、正面切って言うことができない。


いろいろなことをごちゃ混ぜにして言うのは乱暴すぎるが、

人間の持つ深層の心理は、表現に差はあるものの、

ある程度はどんな人も一定だ。



残虐で非道な殺人事件が発生した。

生きているまま首をはねた。

懇願する被害者をせせら笑いながら首をはねた。


そのニュースが流れたとき、

誰もが、「犯人は死刑だ!」と叫ぶ。


犯人が逮捕され、裁判にかけられる。

裁判員らは、被告の行なった罪状からいうと死刑相当、と思うが、


自分の下す判断によって、

人定された被告人の命を奪うこととなると、

精神的な負担は計り知れない。


今まで、テレビや新聞で、

軽々しく「コイツ、死刑だな」なんて言っていた人でも、

自分の押したボタンで、

首に縄をかけられ、死刑台の床が抜け、

被告人の体が、縄をギシギシといわせ、

痙攣しながら絶命するのか、と思うと、

その精神的な重圧には耐えられないだろう。


裁判員と「いじめっこ」を同じにはできないが、

自らが人定されての当事者となると、

いろんなことができなくなる。


先行車が運転に不慣れで、後続車が渋滞しているとき、

すぐ後ろのドライバーは、なかなかクラクションを鳴らさない。
(※クラクションは「警笛鳴らせ」標識のある場所で)

2台後ろか、それ以降のドライバーは、割と鳴らしやすい。

それは、「鳴らされた対象」と離れているから。


そして、先行車直後のドライバーは、

「あぁ、後続の誰かが鳴らしてくれてよかった」と、

自分が当事者にならなかったことに胸を撫で下ろす。

人を人が裁くには、その人の生きる重さを背負わなければならない。


背負えない人が、とるべき道は、ひとつしかない。

やらないことだ。


posted by とっち at 19:39| Comment(0) | 何をかいわんや | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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