学校や仕事が休みの日でも、いつもと変わらない時間に起きる。
休みの日だから、時間に余裕がある。
その時間を使って、毎日やらずにいたことを補う。穴埋めする。
本当は、毎日その都度、溜まる前に、大きくなる前に、解消解決しておかなければならない。
「よぉ〜っし、今日はパパ、仕事も休みだしゴルフ接待も無いから、キャッチボールしよう!」
なぁ〜んて、やっちゃう。それはそれで、子どもも喜ぶでしょう。やらない親よりはマシに見える。
そんなとき、ふと、「パパが喜ぶから」と無意識に思う子ども。
「・・・(パパ、勝手だな・・・)」と思う子ども。
子どもと「遊んでやった」と思う親。
「親の務めは果たした」と思う親。
それを繰り返していると、愛情を持って育てたという勘違いが、子どもの「擬似成長」となって、「心理的成長」の時間を置き去りにしてきてしまう。
体は大人だが、常に愛情に枯渇して、誰かにかまってもらえないことに苛立ちを覚え、逆上し、狂気に走る。
親を喜ばせば注目してもらえる。かまってもらえる。見放されずに済む・・・。
周囲を喜ばせれば、可愛がってもらえる。
反面、言いたい事を言わない関係になる。
これは親子間だけでないね。
そこでは「動機」が問題。
相手の求めに「嫌だ」と言うと、嫌われてしまう。その「恐怖」が動機となって物事をする。
親に、友だちに、上司に、部下に、嫌われたくないから、自分の感情を押し込めて
親に気に入ってもらいたいから、そうする。自分のための動機ではなくなる。
自分の存在を認められたい、と、人を殺めたりもする者も出てくる。
早稲田大学加藤諦三先生の講義が聴けます。
加藤諦三ホームページ
http://www.katotaizo.com/
「講演テープ」ページの中段にある
講演「現代人と心の健康」 (早稲田大学エクステンション講演会:1995年10月27日)
【前半(収録時間29分18秒)】 [mp3:約5.1MB]
【後半(収録時間28分32秒)】 [mp3:約4.9MB]
時間が無ければ、後半の28分だけでも。
三途の河を渡るには、6文銭が必要だと言われる。(平安時代末期以降)
早起きは三文の徳。
自分の、もっともっと身近にあるもの。
例えば玄関の履物を磨き揃え、通りを掃除したり。。。
今日の昨日の出来事を必ず聞く、応える。
そんなことを続けていると、清々しい毎日になってきます。
しかし、それは自分が気づかなかっただけで、以前と変わらない毎日です。
だ・か・ら、「あなたが変われば、すべてが変わる」のです。
2日で6文、貯まりますよ。(冗談冗談(笑)頑なさはイケませんネ(笑))
子育てって大変ですよね。でも毎日新しい発見で新鮮です。親といっても子供に教えられることがたくさんあります。
気をつけているのは子供が親の言いなりにならないことと親が子供の言いなりにならないこと。自分自身の考えを引き出し、失敗してもなるべく挑戦させるようにしています。
私が薪割りをしていると子供がやってきて、「自分もやってみたい。」といいます。出来っこないと分かっていても、斧を一緒に持ちいくよ〜っと細めの薪を割ってみます。
その時の子供の得意げな顔がおもしろい。
そんな風に自分から「やりたい」という気持ちを大事にしています。
ちなみに私は仕事の日は六時半起床、休みの日は五時起床です。(笑)なので六文以上たまってると思うのですが。。もう少し三途の川は渡りたくないですね。
一昔前、子どもにハサミを与えるのは指を切るからと心配する親が居ました。時代は変り、社会が「指を切らないハサミ」を作りました。
ナントカにハサミ、豊かさ・便利さの代償、そう思います。