鳩山由紀夫内閣総理大臣が辞意を表明、小沢一郎幹事長にも辞任を求めた感の記者会見。
会見の内容からは、なんだか他人様に責任を押し付けるような念を感じます。
不正な秘書によって事件に巻き込まれ足を引っ張られた、とか、米軍基地の県外移転に奔走したけれども理解をしてくれる人が耳を傾ける人が居なかった、とか、民主党の政治資金疑惑からくる崩壊状態は自分共々小沢一郎幹事長だってヤッテたんだからサァ、一緒に辞めてもらおうじゃないの。。。という感じ。
それはどうも、どうも。わからないこともないが、それは違う、そう思う。事象はそうだが、その心持ちには賛成できない。
親から12億もの金を貰って置いて、気付きませでした、とは。庶民感情を逆なでするにも程が有る。国民の60%は食費の5円10円を切り詰めなければならない世の中で、沖縄の方々にアッチで生きろのコッチで生きろのと・・・。財布の中に100円玉が何枚あって、次の現金収入が見込める何日後まで、たったこれっぽっちの金で暮らさなきゃなんねえ。そんな暮らしをしている人々が、居るんだ、なんてことは、想像もできないんだろう。
辞意表明の会見でも、最後まで鳩山家の御曹司であって、鳩山由紀夫、という一人の人間にはなれなかった。それは一体、人間としての存在なのか。紙に書かれた職位だけの存在なのか。
先日は、僕にこんな出来事があった。
チェンソー実演の現場でのこと。
朝駆けで会場に着き、汗だくになって1時間半をかけ、シートやネット、丸太の設置も終わりチェンソーのメンテを始めた途端、×××?!
豪い剣幕での怒号、
『
オイ!オイ!ゴルァゴルァゴルァ〜!!!ふざけんじゃない!お前の場所はここじゃない!何やってんだ!お前の場所は便所の前だ!中止中止!チェンソーなんかやらせねえ!大体にして未だ時間じゃないじゃないか!!』
って、いきなり怒鳴られた。関係者の居る大勢の前で。
・・・
前日の確認では、場所はソコ、メンテでチェンソーの始動(爆音)も事前OKの確認を取っていて、当日の朝も、場所と作業の確認を得てた。
結構しつこく、何度も確かめた。僕自身、その場所では音やゴミが散らばるので不適だと思っていて、その事も伝えたけど、遠慮なくそこで良いと指定されたからだ。
1時間半、目の前でユニックのブーム振って、バサバサとブルーシートを拡げて、汗吹く間もなくテーブルに作品並べ・・・。会場のボランティアスタッフさんや主催関係者の方々と談笑をしていた矢先・・・。
声がけを頂いたので実演をしに来て、実演しなくてもギャランティやキャンセル料の発生する仕事ではないし、結果は見えているので仰せのまま、撤収を始めた。案の定。僕が主催者なら、端からここを指定はしない。よっぽどの便宜を図る必要があれば別だけどね。
程なくして、僕が思うに、イベントの最高責任者となるであろう、旧知の方がニコニコと朝の御挨拶に来られたので、ご挨拶。『鈴木さん、今日はヨロシクネ(笑)』と仰られたので、堪らず事の始終を。長さん、スンマセン、大声で怒鳴って、ごめん。
僕の招聘目的は、僕自身が思うに『余興』役。主役じゃない。時間繋ぎの大道芸に過ぎない。ピンで場を張れる演目じゃない。
でも、準備の時に『何時からカービングを始めるのか?』と、皆さんから声をかけられ『楽しみにしてます』まで言われてたので、場所を変えて準備をやりなおすことに。
それにしても、もう指定された時間まで間も無くなってしまい、材料の丸太を変えるために、急遽工房までUターン。更に汗だくになって準備をしなおして出戻った。
そんなことがありました、あの日、裏ではね。
振り返れば、こんなこと、今までも沢山ありました。どういうわけか、同僚や上司、また部下に勇ましいところを見せたいのか、虚栄虚勢を張る御仁が多い。どこの有名大学を出たんだか、どこの立派な会社の重役だか、どんだけの財閥かしらないが、山菜泥棒で捕まってりゃ、世話無いだろうに。
森の開拓を始める際、・・・いや、取得の際からあったね。書類自体も指示通り提出したら上位所管からコッチが刺された。その後、僕は上位職を怒鳴った。
開拓の意思確認に出向いたときは、挨拶に差し出した名刺をグチャグチャにされ、落ち着いたところで非礼の何故を問うたら地上げ屋業者だと思ったとか。手土産が無かったのが気に入らなかったのかな。その後、僕は上位職を怒鳴った。
開拓を始めれば、開発申請と標識も掲示しているのに『違法開発だ!環境破壊だ!工事中止!』って入られて、日雇いの人工代を何日も無駄払いしなきゃならなかった。その後、僕は上位職を怒鳴った。
・・・こんな感じ。これらの方々は、僕から見ると、どういうわけか一様に同じ顔つきをしている。そしてその後の態度も同じで、吹聴しまくる。僕がヤクザ??右翼???キミたちを脅かしたか?恐喝でもしたのか?
自分の失敗、その心の痛手を隠すために、嘘で守ろうとして周りの人々をも騙し奈落へと引き込む。
・・・
もしも、川辺で子どもが遊んでいたら、僕は声をかける。
電柱の影で様子を伺う人が居れば、僕は声をかける。
道端でしゃがんでいる人が居れば、僕は声をかけてきた。
これまで何度もブログで書いてきたこと。。。
マザー・テレサ。。。
『愛情の反対は憎しみではなく、無関心です。』
ほうらね、そうなると思ってたんだ。不作為、未必の故意は邪心の宿主から生まれる。
便利になった人知の知恵は、次第に人々を孤独に、その孤独であっても生きられる、という錯覚を持たせてしまうものかも知れません。
峰中修行では、娑婆に別れを告げて御山へ登拝。山頂の雲の中で凍えながら祈祷に座し、下山の後は明け方まで祈祷三昧。断食を続けて瀧に打たれ、昼も夜もわからず今は何時なのかここは何処なのか。・・・そして、自分は一体何なのか・・・。
“おまえは、だれなのだ?”
時間軸という人生の歩いてきた道。何処で生まれどんな家庭に育ち、どんな学校を出てどんな職業、どんな役職に就き、どんなこと成しどんな家庭をもっているか・・・。それら全てを脱ぎ捨てて、自己にとことん向き合う。。。
よくいう、『会社から離れれば、ただの人』。学歴や称号や職業や所得など、ただただ鼻で笑われるほどに小さなこと。それこそ口にするのも程度の知れる浅はかさ。煩悩の塊。
今一瞬の剥き身の自分を取り出してみて、果て、これまでは、生きてきたつもりが、大勢の人々の慈悲慈愛によって、生かされているのだと感じられれば光明。
何度も掘り出しては書き重ねる上杉鷹山翁の三助の思想。
成せば成る成さねば為らぬ何事も
成らぬは人の為さぬ也けりアメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディが来日した際、“日本で一番尊敬している政治家は?”という記者団からの質問に、当時日本人の間でも深く知られていなかった人物“上杉鷹山”と答えたそうです。
米沢藩を立て直した上杉鷹山の持っていた基本の思想は“自助・互助・扶助”という三助の思想。
その御人柄が表れる逸話。参勤交代で上杉鷹山が米沢へ戻る際、城に掛かる橋が朽ちていたところ、藩の武士たちが無償の奉仕で橋を直しました。そして江戸から戻った上杉鷹山は、その橋を前に馬から降り、家臣たちへ向い“御前達の汗と脂がしみこんでいるこの橋は、到底馬に乗っては渡れぬぞ。”と申されて歩いて渡られたそうです。
もちろん、それまでに上杉鷹山が長年藩士や民にしてきたことによってこそ成し得たものでしたが、当然上杉鷹山はそこの上にも胡坐をかかなかったわけです。
その上杉鷹山が愛してやまなかった米沢藩。三代後には藩の財政が健全なものに立て直されたとか。
日本人政治家上杉鷹山の思想の影響を受けたアメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディの残した有名な演説の一説。
“〜Ask what you can do for your country.〜”馬から降りれる政治家は、この日本にはもう居ないのだろうか。
不作為に反応してしまいました(汗)